現況報告

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演奏会記 031017

クロマチックハーモニカの演奏会が近所のホールで行われました。
クロマチックハーモニカは一つの穴で4つの音程がでます。吹いて
ド・ミ・ソ、吸ってレ・ファ・ラ・シ、レバーを押してそれぞれの半音上
の音程になります。ド-レ、ミ-ファ・・と同穴で演奏も難しいそうです。

朝11時から5時までの長い発表会で初心者から始まって上級者の
演奏で曲目は童謡・フォークソング・現在ヒットしている曲・軽音楽
とバライティに富んで、ハーモニカのなつかしい音色とテクニックに
驚きました。

ピアノ・ベース・ドラムの伴奏で初めて独奏する人もいて、演奏後に
司会者が感想を聞いていました。「ホッとした」「楽しかった」が多く
「間違えた」「緊張してあがった」と言う人もいました。自分の思い出
の曲やNHKプロジェクトXのエンディングテーマである「ヘッドライト・
テールライト」の曲の思いを込めた演奏は、中島みゆきの歌と違った
曲調で印象に残りました。演奏者も自分自身の応援歌として気持ち
を込めて演奏されていました。

最後のほうの上級者はテクニックが必要な充分練習しなければ演奏
できないようなテンポの速い曲をプロのように吹いていました。
トリは10才の女の子です。運動会の終了後のかけもちで、間に合い
アニメの曲を日に焼けた黒い顔を赤くして一所懸命に演奏しました。
感想は「苦しかった」小学生の肺活量ではきびしいもので、大人でも
大変そうな人もいました。

高校時代にブラバンでアルト・サックスを吹いていた時に楽譜どおり
忠実な演奏に対して、指揮者に「もっと歌って!」とアドバイスを受け
心の中で歌う意識を持つと、平板な演奏から生き生きとした演奏に
変わります。練習不足で自信がなく、隠れるように吹いていると「音が
見えない」と怒られました。”solo”は一人の独奏で、”soli”はユニゾン
(同じ音)を2,3人で演奏します。個人練習で指使いの難しい”soli”
部分は他の誰かが吹いてくれるだろうと後回しにし合同練習に臨み
soli部分にかかると誰も吹かないで空白ができたこともありました。

初めて生のハーモニカ演奏を聞き、テレビやラジオで聞くのと違って
演奏者の息吹が伝って、生の音色や雰囲気を感じる生演奏の良さ
がわかりました。



                  








尾瀬夏記 030802

木道周辺の群生するニッコウキスゲ
ニッコウキスゲ群


7/18〜20に尾瀬に行ってきました。大阪を夜9時に出発、途中京都
からの参加者を乗せて早朝に尾瀬戸倉着→マイクロバスで登山口
の鳩待峠→至仏山2228m登頂→尾瀬ヶ原1400mの山ノ鼻に下山→
木道歩行にて山小屋泊、20日は早朝下田代十字路出発、木道にて
東電小屋・牛首・山ノ鼻を経て・鳩待峠→戸倉温泉入浴後昼食→
10:00PM 帰着。

関西からの経路は名神・中央・長野・上信越・関越経由の高速道路
でパックのツァーでないと交通乗換え時間のロスが大きく能率的では
ありません。今年の本格的な梅雨の真っ最中でしたが、19日は雨が
少し降りましたが20日は晴れてラッキーでした。

尾瀬ヶ原の広さは8平方kmで、昨年登った白山に比べて高山植物
の同一種が群生して咲いています。メインはニッコウキスゲで100本
〜千本単位で集中して咲いているのが何ヶ所もあり黄金色で埋め
尽された場所は圧巻です。他にもカキツバタ・ヤマドリゼンマイ・
ワタスゲ等の群生を見ることができました。

尾瀬一帯の木道は総長57kmにも及ぶそうで2本あり右側通行です。
19日(土)はゆっくりと高山植物を立止まって撮影できましたが、20日
は3連休の真中の日でもあり9時過ぎには人出が増え三脚で撮影を
する人で歩行者が渋滞し、写真を目的に行くのであれば週日を推薦
します。

今回は尾瀬の西半分を周遊しましたが東側には一周6kの尾瀬沼や
燧ヶ岳(ひうちがたけ)があり、有名な春のミズバショウ、秋の紅葉、
冬は閉鎖されますが何回か行かなければ全容はつかめません。



湿原越しの至仏山(しぶつさん)2228m
至仏山



シャクナゲ(至仏山)
シャクナゲ



チングルマ(至仏山)
チングルマ



シナノキンバイ(至仏山)
シナノキンバイ



ツリガネツツジ(至仏山)
ツリガネツツジ



イブキジャコウソウ(至仏山)・・良い香りがします
イブキジャコウソウ



ニッコウキスゲ
ニッコウキスゲ



キンコウカ
キンコウカ



カキツバタ
カキツバタ



ノアザミ
ノアザミ



トキソウ
トキソウ



ミツガシワ
ミツガシワ



カラマツソウ
カラマツソウ



ワタスゲ
ワタスゲ



ヤマドリゼンマイ
ヤマドリゼンマイ



池塘(チトウ)大小さまざまな池が300ヶ所以上あります
チトウ



6軒の山小屋越しの燧ヶ岳(ひうちがたけ)2356m
燧ヶ岳






                  








F D 記

建築関係でFDといえばファイヤーダンパーと言って防火用の蓋の
ことですが、この稿ではフォークダンスの略とします。

社会人になってから公民館活動でFDを主とした青少年活動に参加
したことがあります。例会は月2回の夕方2時間半でFDの簡単な
踊りから高度な踊りまで20曲くらいを踊っていました。

FDといえば学生時代の体育祭でオクラホマ・ミキサーやコロブチカ
などパートナーが変わる踊りが主だと思っていましたがその数は
僅かです。輪になったり一列で踊るシングルと男女のパートナーが
変わらずに2人で踊るダブルが殆どでシングル:ダブルは3:7くらい
の割合でダブルが多く社交ダンスのように顔を正対しないで済まして
踊るのに比してFDは正対して組んで楽しく踊ります。「恋人同士の
踊り」と書いてある解説書もあります。

マイム・マイムなど3曲しか知らない私は最初は相手の足を踏んだり
回転方向が逆で正面衝突をしてシャツに口紅がついたり(故意では
ありません)上手な女性にリードしてもらったりとぎこちなく踊って
いました。1年経つと100曲ちょっと踊れるようになりおこがましい
ですが「コーラ―」をやらせてもらいました。「コーラー」とは踊り方
を皆の輪の中で「コールする人」です。
8小節くらいを「左進行方向に右足前、左足横、右足後、左足横・・」
と言いながら遅いテンポで実演し、一緒にステップを練習し一通り
説明が終わると音楽を流します。皆が楽しく踊りきるのがコーラ―の
喜びです。踊りが終わりコーラ―に対してお礼・感謝の拍手をする
FDの団体もあります。

リフト・アップというフィニシュで女性を持ち上げて終わる踊りがあり
パートナーの男性より大きくて少々の体重の女性でも上げることが
できます。ショルダー・ウエストポジションで女性は男性の肩に手を
乗せて、男性は女性のウエストを持ってワルツ、ツーステップ等の
ターンをして最後にリフトをします。要領として女性は男性の肩を
支点にして自分の踵がお尻に着くぐらい膝を曲げてジャンプし、男性
はタイミングよく支えれば少ない力でリフト・アップできます。
森公美子級は無理ですがお互いの「持ち上がる」という気合で息を
合わせれば上がります。

年に4回くらいハイキング、海水浴、耐寒登山など野外活動に行き
踊れるスペースがあれば飯盒場や駅のコンコースでFDを踊り変な
団体に見られたかもしれません。

FDの曲は「マイム・マイム」「ハーモニカ」などシングルの曲が多い
イスラエル、「コロブチカ」「タタロチカ」などのロシア、アメリカ、
メキシコ、東欧、ギリシャ、イタリア、スウェーデンなど世界各国で
又「第三の男」「エーデルワイス」など映画音楽でも踊ります。

FDは曲によって全て踊り方が異なり種類が豊富で覚えるのが大変
ですがシングルでステップを間違っても愛嬌で、ダブルでもうまく
踊れると一体感・達成感が涌き楽しく、また適度な運動にもなります。



                  






フィンランド記

フィンランドへは関西空港から11時間でフランクフルトに着き2時
間待ちして2時間半かかって、やっとヘルシンキに着きました。
以前は直通便で10時間半で行けて「最も近いヨーロッパ」という
キャッチフレーズでしたが現在は着陸料の高さと乗客の少なさで
フィンランド航空が乗入れをやめました。成田からはフィンランド
航空の直通便が週2便運行しています。
※'03/6月より関西空港より月・水・土曜の3便復活しました。

6月のフィンランドはライラックの花が咲いて、夜10時ころま
で明るく子供も9時すぎでも公園で遊んでいます。長い冬が過ぎ太陽
に当るのを楽しんで野外活動が盛んです。日本人の観光客がフィンラ
ンドで日傘をさしたり、木陰で休むのを見てフィンランド人は驚くそ
うです。彼らは積極的に太陽にあたっています。

冬は日照時間が3時間くらいしかなく昼間はうっすらと明るいだけで
黙々と働いて屋内で過ごすことが多い。4週間の有給休暇のうち
1週間くらい冬にとりスキーなどのウィンター・スポーツをするか、
スペインなど南方に太陽を求めに出かけるそうです。夏になれば
3週間の休暇を野外活動をして過ごす。

車窓からの眺めも、ほとんどが牧草地や畑・森で、短い夏にできる麦
は日照時間が長いので少ない日数で収穫でき、こんな北国で育つの
が不思議でした。無料の高速道路は立体交差点がほとんどなく合流
地点が怖い感じですが通行量も多くないので事故は見かけませんでし
た。大鹿(トナカイではない)注意の道路標識が当地らしいです。

フィンランドで良かったことは水道の水が飲めることです。湖から
引いていて、飲料水の自販機がないので旅行中、毎日ミネラル・
ウォーターのペットボトルに入れて飲んでいました。湖の数は何年か
前にフィンランドが7万と発表したら隣国のスェーデンが8万と発表し
対抗意識が強いので200m以上を湖と定義すれば18万以上あると
発表しました。
湖の面積の合計は国土の1割に及び、湖やフィヨルドなど入り江は
氷山が削ってできたもので一定方向に向いているそうです。

森と湖  森と湖


フィンランドの大きなホテルには大抵あるというサウナに、着いた
次の日に地下に朝6時ころ行きました。日本のホテルの行き届いた
サービスと同じ様にタオルがあると思ったのですが出る人に聞くと
Come back your room Ha Ha.と言われ取りに帰りました。
ホテルの付属ですから小じんまりした10人程収容くらいでシャワー
と大き目のプールがあり日本と変わりませんでした。

朝食はバイキング料理で本場だと思ったのですが、フィンランドは
フィン人がほとんどでわずかにスウェーデン人がいます。
バルカン半島のスウェーデン・ノルウェー・デンマークがバイキングの
源のゲルマン民族でバイキング料理というのは村を征服して村じゅう
の食べ物を並べたところからバイキングと呼ばれるようになったと
いう説があります。

今回の旅行は朝・昼食付きで昼食は見学先の最寄のレストランで
ビュフェ方式(バイキング)や予約で料理が用意されていました。
主料理は鶏・牛肉料理、魚のカレイ、七面鳥などで香草っぽくなく
おいしかったです。パンも食べ放題でしたが、付き合せのジャガイモ
がこぶし2個分くらいあり一口大に切ってゆでたり、油で揚げたりで
食べきれないほどボリュームがありました。

夕食のみ各自で取る事になっていて、昼間に見つけたモダンなデザイ
ンの店に行きました。(下写真)創作料理の店ということで中華と
西洋料理を合わせた味でした。豆腐の炒めたものはインスタント
で戻した豆腐で中途半端な味でした。また純粋?の中華料理店で
食事をしたのですが鮭と野菜を炒めたものが当地らしい。
アルヴァ・アアルトが内装をデザインした高級レストラン、サヴォイ
で最後の晩餐にトナカイ料理を食べました。すこし鯨っぽいクセが
ありますが柔らかくて美味しかったです。前菜・スープ・デザート
どれも当地で食べたなかで一番美味しかった。
値段も8千円くらいでフィンランドでは非常に高い店で社用族が利用
し、日本人も多かったです。

モダンなレストラン 


帰国する前日にヘルシンキで土産を買う予定で郊外から帰ってきまし
たが金曜日の渋滞に巻き込まれホテルのチェックインが5時過ぎに
なりました。急いで土産店に行ったのですが6時閉店が多く、ムー
ミン専門店・・ここでないと売っていないネクタイや携帯電話ケース、
サンタクロースやムーミンの切手があり、クリスマスにサンタクロー
スからカードを送るサービスをするヘルシンキPOSTI(郵便局)
いずれも行けませんでした。

アラビアのコーヒーカップ、アアルト夫人デザインの花器・グラス・
ネクタイピン、マリメッコのシャツ、店員に聞いて現地で最も流行っ
ているCDを2枚買いました。一部民族音楽らしい独特のリズムが
あって面白い。皆にはキシリトール、フィンランド国旗が描いてある
ボールペンを買いました。

フィンランドはロシア領の時もあり第2次大戦では敵の敵は味方とい
うことでドイツと同盟を組みましたが日・独・伊と並んで敗戦国に
なりロシアに膨大な賠償金を払いました。その時までの苦しさを忘れ
ないためにギフというキシリトールに独特の味付けをした非常にまず
い飴のような物を作りました。キシリトールは白樺の成分を加工して
作り、もともとは無味でハッカや甘味をつけています。ロッテが大量
に買っています。

「フィンランド人にデザインをやらせ、スウェーデン人に作らせ、
デンマーク人に売らせ、ノルウェー人に運ばせろ」
フィンランドが世界一のこと
 ・ 経済競争力(世界経済フォーラム2001年版)
 ・ キャンドルの消費量(本場のクリスマス用?)・・・・
       ・・・・デパート売場のキャンドル・トレーの種類は豊富です
 ・ 政治の清潔度(大統領をはじめ国会議員の女性が1/3以上)

今回の旅行は男女3名ずつ、随行員1名のファミリーな建物見学旅行
でした。行きの飛行機で女性たちがやたらに窓の外を覗いたり、
スチュワーデスに今の飛行場所をたずねていました。何事かと聞くと
万里の長城を横切るのを見たいとのことで、確かに中国上空を通過
していましたが、どなたか飛行機から御覧になった方はいらっしゃい
ますか。



             





アルヴァ・アアルト記

「建築ーその真の姿は、人がその中に立ったとき初めて理解される
ものである」      アルヴァー・アアルト

今回の建物見学ツァーは20人募集で、旅行が成立する最小催行人数
が10人だったのですが4月末の〆切で5人でした。ゴールデンウ
ィーク明けに期限を延ばし1人増え日本旅行の太っ腹でGOサインに
なりました。随行員の大学講師を入れて7人が20人用のマイクロバス
ではゆったりできて快適な旅行でした。
アアルトが設計した建物を主に見学したのですが、アアルト財団とい
う組織があり無人の所は案内人が来て説明してくれたり、学生のアル
バイトがガイドをしたりしていました。実際に使われている建物は総務
の人が同行してくれて思う存分見学できました。

写真を1000枚以上撮ったり、メジャーで実測したりする人でいつ
も予定時間を超えガイド(現地日本人)は昼食のレストランの予約を
伸ばしたりでピリピリしていましたが折角来たのだからと協力してく
れました。
私はできるだけ建物の内外をぐるぐる廻って写真はわずかしか撮らず
階段の断面をスケッチしたりして興味深いところを見つけて頭に焼き
付けてきました。

アアルトは曲面を多用し、平面や断面の図面や雑誌の写真を見るより
実際に建物の中に立つと身震いするような感動があります。
「アアルト」とはフィンランド語で「波・曲線」という意味だそうです。
木を多用した、ディテールに富んだ高密度の設計で暖かみのある
建物です。

アアルトの建物見学に今回を入れて2回目、3回目の人でも、まだ
見残しがあるそうで、全てを見ようとすると何回か行かなければ見き
れません。




エンソ・グーツァイト本社(ヘルシンキ)
 このビルやフィンランディア・ホールの外壁はイタリア産の大理石
 が貼られていました。潮風の影響で大理石が風化して、フィンラン
 ディア・ホールは張替えられました。

エンソ・グーツァイト本社











  エンソ・グーツァイト本社




フィンランディア・ホール内部(ヘルシンキ)
 ホール内部の扉の把手や階段の手摺は、ブロンズ・パイプですが
 5mm角の革ヒモが螺旋状に巻いてあります。冬に外部出入口把手
  は手袋をして触るが内部では金属の冷たさを感じないよう配慮され
  ています。

フィンランディアホール内部  フィンランディア・ホール内部




アアルト・アトリエ内部(ヘルシンキ)
 現在はアアルト財団が図面整理をしていて、アアルトがサイン書き
 した図面も見ました。右側の中庭に食堂の白壁があり、映写幕とし
  て使う予定でした。

アトリエ・アアルト  アトリエ・アアルト




オタニエミ工科大学
 階段状になっているトップライトのある大学講義室の外観
 
オタニエミ工科大学  オタニエミ工科大学




国民年金協会(ヘルシンキ)
 1957年の建物でエレベーターは木製の2人乗の箱がぐるぐる
 回っていてそれに飛乗り、飛降ります。タイミングが必要です。
 アアルトのどの建物もトップライトや階段の手摺などディテールが
 洗練されています。

国民年金協会  国民年金協会
 




文化の家(ヘルシンキ)
 観客席の平面が対称ではありません。どこの劇場でも冬仕様の
 クローク(コート預り所)がクリーニング屋を大規模にしたような
 ハンガーパイプが蛇行しており想像できないくらいのスペースの
 広さです。

文化の家  文化の家





墓地礼拝所(トゥルク)E・ブルッグマン設計

墓地礼拝所  墓地礼拝所





パイミオのサナトリウム 屋上の日光浴場
 建設当時は結核療養所でしたが、現在は普通病院で使われてい
 ます。70年前に建設された建物ですが今もきれいに使われてい
 ます。私達が見学に行った時もモップを持った人がピカピカに床を
 磨いていました。
 
パイミオのサナトリウム屋上日光浴場





   パイミオのサナトリウム
         屋上の日光浴場




パイミオのサナトリウム 玄関部分
 曲線的なキャノピー(玄関庇)は「アアルトの肺」と呼ばれる。
 いつもは使っていないエレベーター(階段の踊場が乗場になってい
 て外部が見えるシー・スルーでその当時では珍しい)を特別に動か
 してもらいました。私を含む最初の3人はスムーズに降りたのです
 が、次の3人の時に途中で止まりました。技師がのんびりと自転車
 でやって来て40分後に開放されました。

パイミオのサナトリウム 玄関部分  







     パイミオのサナトリウム
            玄関部分




カウットゥアのテラスハウス
 階段状の集合住宅で手摺やパーゴラに丸太材が使われています。

カウットゥアのテラスハウス  カウットゥアのテラスハウス




コエ・タロ-夏の別荘 中庭(セイナツァロ)
 外壁や塀にいろいろなタイルやレンガが試験的に貼っています。
 すぐ近くにスモークサウナ(普通のサウナは煙突があるがスモーク
 には無く煙で燻す)があり、サウナに入った後、湖に飛び込めるよ
 うに舟付きデッキがあります。アアルト設計のボートも展示されて
 います。

コエ・タロ-夏の別荘 中庭  コエ・タロ-夏の別荘 中庭
 




コエ・タロ-夏の別荘 内部(セイナツァロ)
 左側が中庭で、入口を入ると居間で勾配屋根の高い部分にロフトが
 ありアアルトが絵画を楽しむためのスペースです。

コエ・タロ-夏の別荘 内部  コエ・タロ-夏の別荘 内部




コエ・タロ-夏の別荘 斜上部より(セイナツァロ)
 林間の岩盤の上に建っています。湖まで3分です。

コエ・タロ-夏の別荘 斜上部より  コエ・タロ-夏の別荘 斜上部
 



ヴォクセンニスカの教会 内部(イマトラ)
 曲面の壁と天井で構成される800人収容の教会。内部は可動間仕
 切りで三分割できる。厚さ42cmの防音効果のある電動間仕切り
 は壁の中に納まっています。

ヴォクセンニスカの教会内部  ヴォクセンニスカの教会 内部




ヴォクセン二スカの教会 トップライト(イマトラ)

ヴォクセンニスカ教会トップライト   











      ヴォクセンニスカ教会
    トップライト





ヴォクセンニスカの教会 扉把手(イマトラ)
 アアルト把手とも呼ばれるブロンズ製の把手。他でも使われている
 建物もあります。上・下2段にレイアウトされた建物もありました。

ヴォクセンニスカの教会 扉把手   ロバニエミ扉二段取手


ヴォクセンニスカの教会  扉把手                            



         
 ロバニエミ 二段把手
       (鞄本省エネ建築物理総研
                 堀内様御提供)




ヴォクセンニスカの教会 外観(イマトラ)
 平面が非対称で断面も複雑で図面では表現が困難な建物です。

ヴォクセンニスカの教会 外観  ヴォクセンニスカの教会 外観




アアルトの肖像の50マルカ紙幣
 100マルカ紙幣(約1800円)は作曲家シベリウスです。
 この二人は国民に最も人気のある尊敬されている人達です。
 アアルトが改築した建物の場所をお年寄に聞くとフィンランド語で
 教えてくれますがチンプンカンプンで、高校生くらいのローラー
 スケートに乗った女の子に聞いたら、アアルトというと、知ってる
 知ってるという感じで英語で答えてくれました。アアルトの名前は
 皆が知っていて誇りに思っているようです。

アアルト肖像の50マルカ紙幣  











   アアルトの肖像
    50マルカ紙幣
   ユーロ導入により
   2002.2月末迄有効
             






ブラバン記

高校時代にブラスバンド部でアルト・サックスを吹いていました。
渡辺貞夫、マルタ、坂田明、須川展也氏など人気のある人が
多いです。クリントン前大統領も吹いていました。
サックスは風が吹いても鳴ると言われるほど誰でも息を注ぐと
音がでます。ただし音色は騒音ですが。きれいな音色が出る
ようになるにはロング・トーン(長く音を出す)練習が必要です。

夏休みに10日間位山奥の涼しい所に合宿に行っていました。
総勢60人以上で布団はトラックで我々はバスで行き、公民館
を借り、男子は舞台の上で女子は2階の観客席(たたみ敷)
で寝泊りしていました。

朝6:30のラジオ体操をした後に各楽器ごとに集まってロング・
トーンをして朝食です。9時から5時まで練習、食事は近くの
小学校の給食用の厨房を借りて、OGが中心で部員7人ずつ
くらいが交代で炊事当番をして作っていました。練習を抜け
出せるので息抜きができます。集中して長い時間を吹いて
いると唇が切れたりする人もいます。私はそこまで練習しな
かったですけど。

合宿はコンクールの課題曲と自由曲で明け暮れていました。
夜のミーティングで曲に自分なりに解釈した物語を作って発表
しました。「旅人が馬車に乗ってやってきて・・・」各人が違う
のが面白く、全員の物語に統一見解は出しませんでした。
いろんな解釈があるのだとわかるのも楽しいです。
ある程度吹けるようになった段階で楽器なしのハミングや
スキャトで演奏というか合唱したこともあります。別の面が
見えて自分の欠点がわかります。

コンクールが行なわれる会場の指揮者が立つ台は練習場の
台と違います。大きさ、高さ、客席側に落下防止の桟が
打ってあったり無かったりといろいろです。そこでクイズです。
コンクール本番の演奏中にもし指揮者が客席に落ちた場合の
対処の仕方は次のどれでしょうか。
 1 落ちた場所の一番近い人が引き上げる
 2 演奏をしていない男子が引き上げる
 3 指揮者が上がってくるまで演奏を止めて待つ
 4 そのまま無視して演奏する
こんな練習をしているから優勝できなかったのでしょう。
答えはメールにて回答いたします。



             







ラップランド記

02’2/27〜3/3の行程でフィンランドのヘルシンキから約850km北の
ロバニエミに行ってきました。
オーロラの写真は井出昌彦様の御提供です。


トナカイ牧場近辺









  

  トナカイ牧場近辺






2/28 
トナカイ牧場行スノーモービル・サファリの午前中コースでトナカイ牧場
に着くと既にフィンランド人の団体客が来ていて我々が小屋で受ける
現地サーメ人の歓迎儀式や一服休憩ができなくなりました。「これから
サンタクロース村に寄って又戻って来るコースで帰るのが5時になっても
OKか」とインストラクターに尋ねられ、「追加料金は無いですね」と確認
して予定変更をしました。

サンタクロースの館











  サンタクロースの館






サンタクロース村まで8kmの距離を丘を越え高速道路を2ヶ所横切り
到着しました。サンタクロースの館は何国語も話すサンタクロースが
いて日本語で話しかけてきて記念撮影もできます。2階はサンタ関係の
土産売場で建物左側は食堂で分厚いサーモン(上記変更により無料)を
ごちそうになりました。

オーロラ1


















当日は雲っていたのですが夜半にかけて天気が快方に向かうという事
で19:30にオーロラ観測バス「モイモイ号」2台で出発し50km離れた周囲が
真っ暗な農家に行きました。焚き火のある小屋で暖をとってから21:30から
23:00のあいだに3回ほどオーロラが出現しました。コバルト・ブルー、白
ピンクと各回色が違い合わせて3分ほどの観察でしたが見物客80人の
感歎・感激の声があがりました。

オーロラ2

















太陽から飛んでくる電気を帯びた粒子(プラズマ)が、地球の高層にある
大気の分子と衝突し、その時に発生するエネルギーが光になって見える
のがオーロラです。オーロラは約100〜200kmの高度に現れます。
オーロラの光は星より弱く、街灯などに影響を受け撮影はむずかしい。
雲より早く動き煙のように変化し、いにしえの人々も我々もオーロラに
遭遇すると畏敬・恐怖・荘厳・・・いろいろと思いをはせて見入るでしょう。

観察証明書









  

  オーロラ観察証明書





次の日は朝から快晴で前日見た人がもう一度見に行きましたが出現
しなかったようです。確率は30%くらいです。


3/1
ロバニエミは第2次世界大戦で対ドイツとのラップランド戦争で破壊され
ました。建築家アルヴァー・アアルトに都市計画を委ねロバニエミ駅近く
に都市センターとして彼の設計した市庁舎、図書館、ラッピア・ハウスが
広場に面してあります。

図書館平面











  図書館平面





閲覧室は扇型で読書コーナーは1m下がった所にあり落着いた雰囲気
になっています。書架の上部のハイサイドライトが特徴です。

閲覧室











  読書コーナー





図書館











  図書館外観





ハイサイドライト外部











  ハイサイドライト外部





ハイサイドライト内部











  ハイサイドライト内部





ラッピア・ハウスは劇場と文化施設の複合施設で到着時は閉まって
いましたが11時に学生の団体鑑賞に紛れて内部に入りました。
1階が暗灰色の花崗岩で上部は白い磁器タイルを陰影のある貼り方で
窓は木製サッシです。

ラッピア・ハウス











  ラッピア・ハウス






             






白 山 記

室堂社務所より白山頂上を望む
白山山容 


02’0806〜8に石川・岐阜県にまたがる白山に登ってきました。
日本百名山、花の百名山、古来より日本三名(霊)山(富士山・立山)
と呼ばれる由緒ある山です。            
8/7朝5:30から砂防新道というルートを登り始めました。登山道は
湧水が豊富で水飲場が五ヶ所くらいあり、宿泊先の白山室堂にも
2448mの高さですが飲料水が補給できます。周辺の室堂平は散策
できる遊歩道があり、数ヶ所ある池も残雪の残った所もあり花畑が
散在してたくさんの高山植物が楽しめます。

ご来光を見ることができる時には4:00に白山神社の太鼓が鳴ります。
見ることが出来ない時には6:00に鳴るそうです。私が行った時には
3:30頃から700人泊まれる山小屋の二段ベッドの上でごそごそと準備
しました。ヘッド・ランプを点けて連なって登りました。5:10頃にご来光
が見れ8日振りだそうです。神主主導の万歳三唱・祝詞・お神酒を飲み
ました。頂上の御前峰2702mには室堂から45分ほどかかります。

下山は観光新道という険しいルートを7:30過ぎから下りました。登りの
時は曇って山並みが見えなかったのですが、下山する時には天気が
良く山肌に広がる花畑の写真を写しながら予定時間をオーバーして
湯船から白山頂上が見える白峰温泉に入ってからの昼食は2時近くに
なりました。

7,8月は花が最も開花している時で登山道の傍にも群生しています。
「ハクサン」と名がつく高山植物が18種類、「ミヤマ」は頂上の御前峰
が由来といわれ20種類あるそうです。



ハクサンフウロ(白山風露)
ハクサンフウロ



ハクサンボウフウ(白山防風)
ハクサンボウフウ



ハクサンシャジン(白山沙参)
ハクサンシャジン



トリカブト・・・猛毒
トリカブト



ミヤマキンポウゲ
ミヤマキンポウゲ



ミヤマリンドウ
ミヤマリンドウ



タカネマツムシソウ
タカネマツムシソウ



ヤマハハコ(山母子)・・・雄花
ヤマハハコ



ヨツバシオガマ(四葉塩竃)
ヨツバシオガマ



タテヤマウツボグサ
タテヤマウツボグサ



カライトソウ(唐糸草)
カライトソウ



クロユリ
クロユリ



アオノツガザクラ(青の栂桜)
アオノツガザクラ



シナノオトギリ(信濃弟切)
シナノオトギリ



ニッコウキスゲ
ニッコウキスゲ



チングルマ(稚児車)
チングルマ



イワギキョウ(岩桔梗)
イワギキョウ





                         





ヒッチハイク記

初めてヒッチハイクをしたのは高2の夏休みです。サイクリングの
一人旅で四国の金毘羅前の公園で野宿をし、源平合戦で有名な
屋島に行きました。屋島に上がる道は自動車専用で自転車では
入れず、入口で困っていた私を老夫婦が車に乗せてくれました。
車中「広島から自転車で来たこと、金毘羅の奥宮まで登ったこと
クラブ活動のこと」を話して頂上に着きました。遊歩道を一周して
帰りは別の車に乗せて貰い「広島から自転車で来たこと、金毘羅
の奥宮まで登ったこと、クラブ活動のこと」を話して降りました。

大学時代は、便数の少ないバス運賃の高い所をヒッチハイクして
耐乏旅行をしました。九州南の岬、四国、北海道内陸部や羅臼
で同乗させてもらいました。

野球審判のアウトのように親指を伸ばし、他の四本の指はグー
にして道路に突出し、腕を上下させます。乗せてもらった私の
お礼は退屈しないよう運転手に話しかけることです。北海道の
魚網を売る業者の人に「どこの川が一番鮭が釣れるか」と聞くと、
今は登録制で沖で捕っており、川に溯上する鮭を捕ると逮捕
されると笑われました。
色々と話をしていると、ガイドブックに載っていない穴場やその地
ならではの美味い食物を知ることができ、旅の思い出が増します。

最もヒッチハイクがやりやすかったのは四国です。カップルの車が
止り「次で左折するから同方向だったら乗せてあげる」と言われ
デートの邪魔をするようで断り、893のようなサングラスをかけた
怖そうな人達の車が止まって「兄ちゃん、満席で悪いな。もう少し
待てば乗せてもらえるから」と一言かけて走り去り、それ以降は
高級車に手を揚げませんでした。夏の夕方5時頃に乗せて頂いた
果物卸商の方には、自宅で夕食・風呂をごちそうになって、泊めて
もらいました。翌朝寝坊した私は、ご主人は既に仕事に出かけ
朝食を呼ばれ土産にスイカを一瓢いただきました。
お遍路の「お接待」の関係か四国では親切にしてもらいました。

「東男に京女」という成句が、四国では「讃岐男に阿波女」と
言うそうです。阿波女性は辛抱に耐え粘り強い、一方この成句を
教えてくれた讃岐の男性はどんな気質か言いませんでした。
讃岐の男性はどんな気質でしょうか。

ヒッチハイクはその時その場のハプニングの連続で、その地の
人達と交流ができオリジナルな旅をしたという実感があります。





                            
    

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