フィンランド記
フィンランドへは関西空港から11時間でフランクフルトに着き2時
間待ちして2時間半かかって、やっとヘルシンキに着きました。
以前は直通便で10時間半で行けて「最も近いヨーロッパ」という
キャッチフレーズでしたが現在は着陸料の高さと乗客の少なさで
フィンランド航空が乗入れをやめました。成田からはフィンランド
航空の直通便が週2便運行しています。
6月のフィンランドはライラックの花が咲いて、夜10時ころま
で明るく子供も9時すぎでも公園で遊んでいます。長い冬が過ぎ太陽
に当るのを楽しんで野外活動が盛んです。日本人の観光客がフィンラ
ンドで日傘をさしたり、木陰で休むのを見てフィンランド人は驚くそ
うです。彼らは積極的に太陽にあたっています。
冬は日照時間が3時間くらいしかなく昼間はうっすらと明るいだけで
黙々と働いて屋内で過ごすことが多い。4週間の有給休暇のうち
1週間くらい冬にとりスキーなどのウィンター・スポーツをするか、
スペインなど南方に太陽を求めに出かけるそうです。夏になれば
3週間の休暇を野外活動をして過ごす。
車窓からの眺めも、ほとんどが牧草地や畑・森で、短い夏にできる麦
は日照時間が長いので少ない日数で収穫でき、こんな北国で育つの
が不思議でした。無料の高速道路は立体交差点がほとんどなく合流
地点が怖い感じですが通行量も多くないので事故は見かけませんでし
た。大鹿(トナカイではない)注意の道路標識が当地らしいです。
フィンランドで良かったことは水道の水が飲めることです。湖から
引いていて、飲料水の自販機がないので旅行中、毎日ミネラル・
ウォーターのペットボトルに入れて飲んでいました。湖の数は何年か
前にフィンランドが7万と発表したら隣国のスェーデンが8万と発表し
対抗意識が強いので200m以上を湖と定義すれば18万以上あると
発表しました。
湖の面積の合計は国土の1割に及び、湖やフィヨルドなど入り江は
氷山が削ってできたもので一定方向に向いているそうです。
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森と湖  |
フィンランドの大きなホテルには大抵あるというサウナに、着いた
次の日に地下に朝6時ころ行きました。日本のホテルの行き届いた
サービスと同じ様にタオルがあると思ったのですが出る人に聞くと
Come back your room Ha Ha.と言われ取りに帰りました。
ホテルの付属ですから小じんまりした10人程収容くらいでシャワー
と大き目のプールがあり日本と変わりませんでした。
朝食はバイキング料理で本場だと思ったのですが、フィンランドは
フィン人がほとんどでわずかにスウェーデン人がいます。
バルカン半島のスウェーデン・ノルウェー・デンマークがバイキングの
源のゲルマン民族でバイキング料理というのは村を征服して村じゅう
の食べ物を並べたところからバイキングと呼ばれるようになったと
いう説があります。
今回の旅行は朝・昼食付きで昼食は見学先の最寄のレストランで
ビュフェ方式(バイキング)や予約で料理が用意されていました。
主料理は鶏・牛肉料理、魚のカレイ、七面鳥などで香草っぽくなく
おいしかったです。パンも食べ放題でしたが、付き合せのジャガイモ
がこぶし2個分くらいあり一口大に切ってゆでたり、油で揚げたりで
食べきれないほどボリュームがありました。
夕食のみ各自で取る事になっていて、昼間に見つけたモダンなデザイ
ンの店に行きました。(下写真)創作料理の店ということで中華と
西洋料理を合わせた味でした。豆腐の炒めたものはインスタント
で戻した豆腐で中途半端な味でした。また純粋?の中華料理店で
食事をしたのですが鮭と野菜を炒めたものが当地らしい。
アルヴァ・アアルトが内装をデザインした高級レストラン、サヴォイ
で最後の晩餐にトナカイ料理を食べました。すこし鯨っぽいクセが
ありますが柔らかくて美味しかったです。前菜・スープ・デザート
どれも当地で食べたなかで一番美味しかった。
値段も8千円くらいでフィンランドでは非常に高い店で社用族が利用
し、日本人も多かったです。
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モダンなレストラン  |
帰国する前日にヘルシンキで土産を買う予定で郊外から帰ってきまし
たが金曜日の渋滞に巻き込まれホテルのチェックインが5時過ぎに
なりました。急いで土産店に行ったのですが6時閉店が多く、ムー
ミン専門店・・ここでないと売っていないネクタイや携帯電話ケース、
サンタクロースやムーミンの切手があり、クリスマスにサンタクロー
スからカードを送るサービスをするヘルシンキPOSTI(郵便局)
いずれも行けませんでした。
アラビアのコーヒーカップ、アアルト夫人デザインの花器・グラス・
ネクタイピン、マリメッコのシャツ、店員に聞いて現地で最も流行っ
ているCDを2枚買いました。一部民族音楽らしい独特のリズムが
あって面白い。皆にはキシリトール、フィンランド国旗が描いてある
ボールペンを買いました。
フィンランドはロシア領の時もあり第2次大戦では敵の敵は味方とい
うことでドイツと同盟を組みましたが日・独・伊と並んで敗戦国に
なりロシアに膨大な賠償金を払いました。その時までの苦しさを忘れ
ないためにギフというキシリトールに独特の味付けをした非常にまず
い飴のような物を作りました。キシリトールは白樺の成分を加工して
作り、もともとは無味でハッカや甘味をつけています。ロッテが大量
に買っています。
「フィンランド人にデザインをやらせ、スウェーデン人に作らせ、
デンマーク人に売らせ、ノルウェー人に運ばせろ」
フィンランドが世界一のこと
・ 経済競争力(世界経済フォーラム2001年版)
・ キャンドルの消費量(本場のクリスマス用?)・・・・
・・・・デパート売場のキャンドル・トレーの種類は豊富です
・ 政治の清潔度(大統領をはじめ国会議員の女性が1/3以上)
今回の旅行は男女3名ずつ、随行員1名のファミリーな建物見学旅行
でした。行きの飛行機で女性たちがやたらに窓の外を覗いたり、
スチュワーデスに今の飛行場所をたずねていました。何事かと聞くと
万里の長城を横切るのを見たいとのことで、確かに中国上空を通過
していましたが、どなたか飛行機から御覧になった方はいらっしゃい
ますか。
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「建築ーその真の姿は、人がその中に立ったとき初めて理解される
ものである」 アルヴァー・アアルト
今回の建物見学ツァーは20人募集で、旅行が成立する最小催行人数
が10人だったのですが4月末の〆切で5人でした。ゴールデンウ
ィーク明けに期限を延ばし1人増え日本旅行の太っ腹でGOサインに
なりました。随行員の大学講師を入れて7人が20人用のマイクロバス
ではゆったりできて快適な旅行でした。
アアルトが設計した建物を主に見学したのですが、アアルト財団とい
う組織があり無人の所は案内人が来て説明してくれたり、学生のアル
バイトがガイドをしたりしていました。実際に使われている建物は総務
の人が同行してくれて思う存分見学できました。
写真を1000枚以上撮ったり、メジャーで実測したりする人でいつ
も予定時間を超えガイド(現地日本人)は昼食のレストランの予約を
伸ばしたりでピリピリしていましたが折角来たのだからと協力してく
れました。
私はできるだけ建物の内外をぐるぐる廻って写真はわずかしか撮らず
階段の断面をスケッチしたりして興味深いところを見つけて頭に焼き
付けてきました。
アアルトは曲面を多用し、平面や断面の図面や雑誌の写真を見るより
実際に建物の中に立つと身震いするような感動があります。
「アアルト」とはフィンランド語で「波・曲線」という意味だそうです。
木を多用した、ディテールに富んだ高密度の設計で暖かみのある
建物です。
アアルトの建物見学に今回を入れて2回目、3回目の人でも、まだ
見残しがあるそうで、全てを見ようとすると何回か行かなければ見き
れません。
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エンソ・グーツァイト本社(ヘルシンキ)
このビルやフィンランディア・ホールの外壁はイタリア産の大理石
が貼られていました。潮風の影響で大理石が風化して、フィンラン
ディア・ホールは張替えられました。

エンソ・グーツァイト本社 |
フィンランディア・ホール内部(ヘルシンキ)
ホール内部の扉の把手や階段の手摺は、ブロンズ・パイプですが
5mm角の革ヒモが螺旋状に巻いてあります。冬に外部出入口把手
は手袋をして触るが内部では金属の冷たさを感じないよう配慮され
ています。
フィンランディア・ホール内部 |
アアルト・アトリエ内部(ヘルシンキ)
現在はアアルト財団が図面整理をしていて、アアルトがサイン書き
した図面も見ました。右側の中庭に食堂の白壁があり、映写幕とし
て使う予定でした。
アトリエ・アアルト |
オタニエミ工科大学
階段状になっているトップライトのある大学講義室の外観
オタニエミ工科大学 |
国民年金協会(ヘルシンキ)
1957年の建物でエレベーターは木製の2人乗の箱がぐるぐる
回っていてそれに飛乗り、飛降ります。タイミングが必要です。
アアルトのどの建物もトップライトや階段の手摺などディテールが
洗練されています。
国民年金協会
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文化の家(ヘルシンキ)
観客席の平面が対称ではありません。どこの劇場でも冬仕様の
クローク(コート預り所)がクリーニング屋を大規模にしたような
ハンガーパイプが蛇行しており想像できないくらいのスペースの
広さです。
文化の家 |
墓地礼拝所(トゥルク)E・ブルッグマン設計
墓地礼拝所
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パイミオのサナトリウム 屋上の日光浴場
建設当時は結核療養所でしたが、現在は普通病院で使われてい
ます。70年前に建設された建物ですが今もきれいに使われてい
ます。私達が見学に行った時もモップを持った人がピカピカに床を
磨いていました。

パイミオのサナトリウム
屋上の日光浴場 |
パイミオのサナトリウム 玄関部分
曲線的なキャノピー(玄関庇)は「アアルトの肺」と呼ばれる。
いつもは使っていないエレベーター(階段の踊場が乗場になってい
て外部が見えるシー・スルーでその当時では珍しい)を特別に動か
してもらいました。私を含む最初の3人はスムーズに降りたのです
が、次の3人の時に途中で止まりました。技師がのんびりと自転車
でやって来て40分後に開放されました。
パイミオのサナトリウム
玄関部分 |
カウットゥアのテラスハウス
階段状の集合住宅で手摺やパーゴラに丸太材が使われています。
カウットゥアのテラスハウス |
コエ・タロ-夏の別荘 中庭(セイナツァロ)
外壁や塀にいろいろなタイルやレンガが試験的に貼っています。
すぐ近くにスモークサウナ(普通のサウナは煙突があるがスモーク
には無く煙で燻す)があり、サウナに入った後、湖に飛び込めるよ
うに舟付きデッキがあります。アアルト設計のボートも展示されて
います。
コエ・タロ-夏の別荘 中庭
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コエ・タロ-夏の別荘 内部(セイナツァロ)
左側が中庭で、入口を入ると居間で勾配屋根の高い部分にロフトが
ありアアルトが絵画を楽しむためのスペースです。
コエ・タロ-夏の別荘 内部 |
コエ・タロ-夏の別荘 斜上部より(セイナツァロ)
林間の岩盤の上に建っています。湖まで3分です。
コエ・タロ-夏の別荘 斜上部 |
ヴォクセンニスカの教会 内部(イマトラ)
曲面の壁と天井で構成される800人収容の教会。内部は可動間仕
切りで三分割できる。厚さ42cmの防音効果のある電動間仕切り
は壁の中に納まっています。
ヴォクセンニスカの教会 内部 |
ヴォクセン二スカの教会 トップライト(イマトラ)
ヴォクセンニスカ教会
トップライト
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ヴォクセンニスカの教会 扉把手(イマトラ)
アアルト把手とも呼ばれるブロンズ製の把手。他でも使われている
建物もあります。上・下2段にレイアウトされた建物もありました。

ヴォクセンニスカの教会 扉把手
ロバニエミ 二段把手
(鞄本省エネ建築物理総研
堀内様御提供) |
ヴォクセンニスカの教会 外観(イマトラ)
平面が非対称で断面も複雑で図面では表現が困難な建物です。
ヴォクセンニスカの教会 外観 |
アアルトの肖像の50マルカ紙幣
100マルカ紙幣(約1800円)は作曲家シベリウスです。
この二人は国民に最も人気のある尊敬されている人達です。
アアルトが改築した建物の場所をお年寄に聞くとフィンランド語で
教えてくれますがチンプンカンプンで、高校生くらいのローラー
スケートに乗った女の子に聞いたら、アアルトというと、知ってる
知ってるという感じで英語で答えてくれました。アアルトの名前は
皆が知っていて誇りに思っているようです。
アアルトの肖像
50マルカ紙幣 |
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